のりつー童話「最後の真珠」
次回作を検討する間
「のりつー童話」をお届けします。

むかしむかし
お金もちの家で
赤ちゃんがうまれました。

妖精たちが
赤ちゃんに次々と
幸福の贈り物を運んで
きました。
それは

「健康」
「おいしい食事」
「お友だち」
など
願いをこめた真珠を
レースのように
散りばめていました。
ところが

この家を守る
「家神」さまが
こう言いました。
家神「真珠がひとつ足りない」
そういえば
妖精がひとり
まだ来ていないような?
家神「この子に足りないものが
あってはいけない」

そう言うと
子を守る守護神とふたり
贈り物の真珠を
持ってこない
最後の妖精を探しに
でかけました。

ふたりの神が
たどり着いたのは
町外れの
暗い家でした。

その家の中では
お父さんと子が
泣いていました。
お母さんを
亡くしてしまったのです。
そのうしろに妖精がいて

守護神「あれです。
あそこにいるのが最後の妖精
悲しみの妖精です。」
その妖精は
親子を見つめて
悲しい顔をしていました。
すると

ぽろっ。
悲しみの妖精は
一粒の涙を流しました。
その涙は

キラキラ輝く真珠に
なって
こぼれ落ちたのです。

家神「・・・」
守護神「これで贈り物の真珠は
すべて揃いましたね」

悲しみを知るからこそ
本当の幸せが
わかるようになると
この真珠も
赤ちゃんへの贈り物に
編み込まれたのでした。
アンデルセン童話って
なんでこんなに
じわっと悲しいんですかね・・
個人的感想ですみません。
のりつー劇場もくじはこちらです
→のりつー劇場もくじ
「のりつー童話」をお届けします。

むかしむかし
お金もちの家で
赤ちゃんがうまれました。

妖精たちが
赤ちゃんに次々と
幸福の贈り物を運んで
きました。
それは

「健康」
「おいしい食事」
「お友だち」
など
願いをこめた真珠を
レースのように
散りばめていました。
ところが

この家を守る
「家神」さまが
こう言いました。
家神「真珠がひとつ足りない」
そういえば
妖精がひとり
まだ来ていないような?
家神「この子に足りないものが
あってはいけない」

そう言うと
子を守る守護神とふたり
贈り物の真珠を
持ってこない
最後の妖精を探しに
でかけました。

ふたりの神が
たどり着いたのは
町外れの
暗い家でした。

その家の中では
お父さんと子が
泣いていました。
お母さんを
亡くしてしまったのです。
そのうしろに妖精がいて

守護神「あれです。
あそこにいるのが最後の妖精
悲しみの妖精です。」
その妖精は
親子を見つめて
悲しい顔をしていました。
すると

ぽろっ。
悲しみの妖精は
一粒の涙を流しました。
その涙は

キラキラ輝く真珠に
なって
こぼれ落ちたのです。

家神「・・・」
守護神「これで贈り物の真珠は
すべて揃いましたね」

悲しみを知るからこそ
本当の幸せが
わかるようになると
この真珠も
赤ちゃんへの贈り物に
編み込まれたのでした。
アンデルセン童話って
なんでこんなに
じわっと悲しいんですかね・・
個人的感想ですみません。
のりつー劇場もくじはこちらです
→のりつー劇場もくじ
この記事へのコメント
なるほど、アンデルセン節とでもいうのか、
哀愁を帯びたメロディーが聞こえて来そうです。
グリム童話にはない「作家の個性」と
言ってもいい話の特徴でしょうか。
あちらの国々でも、家神さまとか守護神とか、
庶民の間では、色んな身近な神さまが
信じられていたんですね。
はい、私もこのお話は知りませんでした。でも「みにくいアヒルの子」に通じるお話だと思いまして、ほんとですね、アンデルセン節ってありますよね!よほどおつらい時期があったのかも?と思いますけれど。個性がありますね。じわっと悲しいけど励ましてくれるような、いいお話だと思いました。
そう!私も思いました!世界にも家神さまっていらっしゃるのですね。面白いなあと思いました。